はだしのゲン 涙の爆発 (1977年)

少年映画評価 5点
作品総合評価 5点
少年の出番 100%(主役)
お薦めポイント 絵のモデルになったゲンと隆太
映画情報など 1977年公開/DVD発売中


前回の第1部に引き続き「はだしのゲン」の第2部をDVDで鑑賞しました。原作の漫画のエピソードを、ほぼ忠実に映画化しているのですが、第1部に比べると、どうも見劣りがします。基本的な主張は一貫しているのですが、ちょっとギャグっぽくなった分、感動は少なくなってしまった感じを受けました。

■ストーリー

第2部は、終戦後の混乱期が描かれています。原爆から生き残ったゲン(春田和秀君)と、母(宮城まり子さん)、生まれたばかりの妹、友子の3人は、焼跡を離れ、母の友人をたよって、広島郊外の戦災を受けなかった地区(江波と言っていました)へ疎開した。

原爆の影響でゲンの髪の毛が抜けて落ち込むゲン。でも、拾った帽子をかぶり、「これで問題なし」と、どこまでも前向きなゲン。しかし、疎開先の生活は苦しかった。友人(市原悦子さん)は庇ってくれたが、彼女の姑や子供達は、ゲンたち家族が邪魔で仕方がない。陰湿な苛めが始まった。ぐっとこらえるゲンと母。

そんな時、亡くなった弟シンジにそっくりな浮浪児の隆太(上野郁巳さん)と出会う。隆太の仲間が盗みで捕まったのを機に、隆太はゲンの家にころがり込む。「弟が生き返った」と喜ぶゲンと母。

しかし生活は厳しく、このままでは母子路頭に迷ってしまう。ゲンは仕事を探し始めた(たった7〜8歳の少年がですよ)。幸いにも、大きな屋敷の主人がゲンを雇ってくれた。この屋敷には、被爆で全身ケロイドになった画家の政二(石橋正次さん)が、座敷に隠されており、ゲンたちに政二の世話をさせたのだ。

画家の夢が破れた政二は荒んでいたが、ゲンの力強い生き方に啓発され、再び絵を描き始める。ゲンと隆太もモデルにされた。被爆直後の姿を。世間体を気にする屋敷の主人に反抗して、ゲンは政二を外へ連れ出した。

ケロイドを気味悪がる住人たちの前で、政二は一世一代のカツを入れた。「人間でないのはお前たちだ! 被爆して親のいない子に救いの手すら差し伸べない」やがて政二は亡くなった。ゲン、隆太、母、友子は、疎開先を出て、焼跡に戻ることを決心する。隆太の浮浪児仲間も一緒に。

■修羅の世界

8月15日、戦争が終って平和になった。そう思っていました。実は戦争が終ってからの方が、本当の地獄だったのかもしれません。空襲も軍隊も無くなりましたが、秩序もなくなり、弱いものを庇護してくれる人はいません。戦災孤児も、戦争で傷ついた人も、捨てられるだけだったのでしょうか。

弱肉強食の世界。これは地獄の一種、修羅道の世界そのもの。弱い者たちは、強い者に媚を売り、群れを作って、他の群れに対抗するしかありません。親分、子分の関係ができてしまうのは、子供の世界でも同じ。ゲンと隆太の関係もそんな風になりそうですが、ゲンは何とか踏みとどまります。

■嘆息する暴力。せっかく戦争での死を免れたのに

本作品ではオブラートに包んで、かなり暴力表現を隠していますが、実際は、こんなのものでは無かったのだろうと思われる描写に心が痛みました。

浮浪児の一人は、畑で作物を盗もうとして、農民に殴られて死にます。まだ小学生低学年の子。この子は葬儀もされず、そのまま、のたれ死に。農民は、泥棒被害者とは言え、殺人を犯しても何の罪も問われないのでしょうか。

戦後の混乱期、住民票も統計もないどさくさで、浮浪児同士の殺人、被爆者、弱いものへの殺人、そんな事が日常茶飯事だったのでしょうか。戦前の「修身」「道徳」教育が賛美されていますが、そんな教育を受けてきた人も、容易に自分勝手になってしまうのであれば、あまり大した成果があったとは思えません。宗教も同じ。

画家の政二のモデルに。被曝直後の子供達を再現
肥溜めに落ちて、服を洗う間、はだかで我慢する

■キャストについて。

暴力描写を考えると、暗い話ばかりになってしまいました。そんな問題提起をしてくれるという意味でも、本作は価値があると思います。

さてキャストですが、第1作と同じく有名俳優の方が多数出演されています。しかしこの映画のキーマン(キーウーマン)は母親役だと思うのですが、本作では、宮城まり子さんが熱演されているのですが、ちょっとしっくりきません。前作の、左幸子さんが、はまり役だっただけに、役者が変ったのは違和感があります。宮城さんも好演ではありますけれど。

ゲンを演じた春田和秀君、隆太を演じた上野郁巳君、この2人は違和感はありません。よく頑張っていたと思います。ちょっとギャグや漫画チックな映像表現には賛否両論ありますが、この2人の熱演に免じて不問にしようと思います。





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