銀の鈴 (2009年)

作品総合評価 4点
少年の出番 15%(ほんの少し)
寸評 沖縄の疎開学童の悲劇。かなりチープ。
【少年映画でない理由】出番が少ない事
映画情報など 2009年公開。DVD等未発売。(写真は岡崎優羽君)


2013年5月4日、ピースおおさか(大阪)にて鑑賞。

「銀の鈴」とは。東京駅の八重洲側にある待合せ場所ではありません。そういう映画があったのでした。2009年公開作品ですが、全く存在すら知りませんでした。ゴールデンウィーク。少し暇が出来ましたが、人混みは嫌いなので、いつもガラガラな大阪国際平和センター(ピースおおさか)でも覗いてみようか。

ホームページで催しをチェックすると、こんな映画をやっているではありませんか。入館料250円。入口で座布団ならぬクッションを貰い、固い木の椅子に座って鑑賞です。

■ストーリー

沖縄の国民学校の教師(訓導)として、本土から赴任してきた渡瀬が主人公。渡瀬の妹アキコも兄を追って教師として赴任。昭和19年、戦局が悪化し、沖縄への米軍侵攻が決定的になってきた。軍や県は、学童の本土疎開を通達するが、米潜水艦による輸送船攻撃の噂があり、県民は尻込みしていた。

渡瀬先生は、戦争の迫る沖縄ではまともな教育が出来ないと、教員や父兄を説得して疎開を推進する。そして対馬丸という輸送船に生徒達を乗せた。妹のアキコも、同僚の当麻先生(渡瀬の密かな恋人)も付き添いとして乗船した。

しかし対馬丸沈没の報せが。軍の情報統制により生徒達の消息は一切判らない。悔やむ渡瀬先生。なぜ俺は子供達を乗船させてしまったんだろう。そんな時、生徒の良一(岡崎優羽君)が帰ってきた。良一は妹と2人で対馬丸に乗船したはずだった。渡瀬は良一に事情を聞くが、何も話さない。話すと国賊として処刑されると脅されていたのだった。

やがて米軍が上陸、沖縄は戦地となり、多くの住民も巻き添えとなって死んでいく。良一も渡瀬の腕の中で死んだ。しかし渡瀬は「絶対に死ぬもんか」と沖縄戦を生き抜いたのだった。(しかし、この渡瀬先生は、なぜ招集されなかったのでしょうね)

終戦後、沖縄に留まり、青空教室で教育を再開した渡瀬先生。そこへ本土に疎開していた沖縄の人々が帰ってきた。その中にアキコもいた。良一の妹もいた。

■元は演劇。予算なしでの映画化は無謀でした。

とにかくチープなんです。対馬丸の沈没シーンも、子供たちの疎開シーンも、戦争シーンも迫力ゼロ。もちろん本作品はスペクタクルを売りにした映画ではなく、対馬丸の悲劇と人間ドラマを描いたものなんでしょうけれど。しかし戦争の悲惨さを描くのであれば、ある程度の迫力は不可欠です。

狭い舞台の上の演劇であれば、観客の方が想像力を働かせてくれます。ちょっとの音響効果だけで、砲弾の雨あられの様子を感じてくれるかもしれません。しかしスクリーンでは無理があります。やはり直接的に表現してもらわないと。その意味ではアニメにした方がよかったのかもしれません。

■せめて髪形くらいは何とかならなかったのでしょうか。

タイタニックのような沈没シーン、米軍の砲弾や戦車、大勢のエキストラ、空撮、CGなど。これには莫大な費用がかかることは判ります。自主映画でそりゃ無理でしょう。

でも、俳優さんのヘアスタイルくらい、何とかなりませんか。もちろん軍人でない男性には長髪の方も少しはおられたとは思いますが、戦争末期は大半が丸刈りだったと聞いています。ましてや国民の模範となる教員は、丸刈りだったのではありませんか?

主役の渡瀬先生を演じた今野哲治さん。演技自体は熱演でした。文句のつけようはありません。どうして丸刈りにしなかったのでしょうか。丸刈りを条件にするとギャラが高くなるからでしょうか。たとえ長髪でも、現代風のボサボサではなく、せめて角刈りか、七三分けにすれば、まだ当時の雰囲気が出たのに。

さらには当時の学童男子。ほぼ全員丸刈りだったのでは。良一役の岡崎優羽君。もし本当に役者を目指すのならば、ギャラが少なくても、自ら丸刈りにするくらいの気迫が必要です。丸刈りを嫌がるせいなのか、関西には男子子役自体が少ないせいか、登場する学童は8:2で女生徒ばかり。全員でも10人ちょっとですので、スケール的な物足りなさの方が目立ちますけれど。

■おわりに

映画として期待し過ぎましたので、また辛口になってしまいました。申し訳ございません。憲法改正など、少しややこしくなってきた時代ですので、このような作品を見直すことは必要であるとは思います。ただ、従来の左派の方々、市民運動家の方々は、あまりにもステレオタイプ的な考え方に捉われているのではないでしょうか。もう少しよく考えて、事実を本質をよく見つめて欲しいものです。






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