リアリティのダンス (2013年)

製作年・国 2013年・チリ/フランス
少年映画評価
お薦めポイント ホドロフスキー監督が自身の過去と共演
映画情報など 2014年公開/DVD発売中
写真はイェレミアス・ハースコビッツ君。


アレハンドロ・ホドロフスキー監督のことは何も知りませんでした。1970年のメキシコ映画「エル・トポ」が数年前にリバイバル上映され、世界的に評価の高いカルト作品とは聞いていましたが、残酷描写があるとの事で、見に行く事はありませんでした。

今回の作品はホドロフスキー監督自身の少年時代を描いたとの事で、主人公である父を、実の息子のブロンティス・ホドロフスキーが演じているそうですが、そんなのはどうでもいいとして、監督の少年時代を演じた金髪少年に目がいってしまい、必ず見ようと決めていた作品です。

いつも悪口ばかり言っている映画館、シネ・リーブル梅田ですが、ネットで座席指定が出来るようになり、余裕を持って最前列の特等席を指定し、ゆっくりと鑑賞することが出来ました。

ユダヤ人少年アレハンドロ・ホドロフスキー(イェレミアス・ハースコビッツ)は、父ハイメと母サラの3人暮し。父は旧ソ連のウクライナで共産党員だったが、南米チリの港町へ移住してきた。父は女性向け高級下着店を営んでいるが、当時のチリ独裁政権を倒すための地下活動グループの闘志でもあった。そんな父の悩みは、息子のアレハンドロが男らしくないこと。

アレハンドロは母の願望から、金髪ロングヘアにされていて、オカマ少年にしか見えない。頭にきた父は、アレハンドロを鍛え直すため、床屋へ行き長髪を切らせる(実は金髪ロングヘアはウィッグ(かつら)であり、黒の天然巻毛少年だった)。麻酔なしの歯科治療、顔面の殴打など、拷問まがいの鍛えが始まった。

独裁政権の弾圧が激化する中、父は闘志仲間と、大統領暗殺に旅立つことになった。ここから父の波瀾万丈の旅が始まる。暗殺することは出来ず、放浪の旅の末、政権側に捉えられ、目を覆うような拷問を受ける。さて、父はアレハンドロの元へ帰ってくることが出来るのでしょうか。


 意外に判りやすい作品でした。

実は本作品を鑑賞する直前に、メキシコの新鋭監督作品「闇のあとの光」、巨匠タルコフスキー監督の「サクリファイス」を映画館で見たばかりでした。両作品とも深い印象を受けるのですが、作品自体は観念的で、かなり難解な脚本でした。

本作品もチラシや予告編を見ると、日本で言えば寺山修司作品っぽい、訳判らない系の映画との先入観がありました。サーカスの芸人、侏儒(こびと)、不具者(手足欠損者)など、寺山修司系でもおなじみの方々が登場します。また、母親のセリフは、全てミュージカル風の歌で演じられます。

しかし、独裁者への怒り、ユダヤ人の懊悩、共産主義者への疑問、神の存在などをモチーフに、骨太のドラマが描かれていますので、すぐに映画に入っていくことができます。

ただ、暴力とエロス表現も半端ではありません。R15指定作品ですが、男女とも一部ボカシはあるものの、局部丸出しで、特に拷問シーンでは、男性局部への攻撃など、胸が悪くなりそうな場面も。しかし大人が簡単に全裸となるのに反し、少年にそのような表現は一切ありませんので、ご安心を。(児童ポルノ規制は全世界共通。その反面、大人はどうでもよいのかも)

 少年映画としては、ややもの足りず

一方、少年映画と言えるのは前半だけで、後半は父親の物語となります。最初に登場した金髪ロングのアレハンドロは、どこか艶かしさを感じる美少年で、彼の姿を見ているだけでもワクワク感がありました。ただ、金髪ロングのかつらを外されて、短髪縮れ毛少年になった途端、普通の少年になってしまった感じで、ややがっかり。

それでも、不具者や貧しい同級生など、弱い人に優しい目を向けるアレハンドロ少年に心がひかれます。父親の厳格教育に感化されずに、優しい人間になってほしい。そんな思いを表現するかのにように、時々ホドロフスキー監督自身が現れて、少年を支えます。

金髪かつらを取ると印象がガラっと
夜が怖い? それなら自分が闇になればいい
(靴墨を塗られて真っ黒に)

 神様とコンプレックス

ホドロフスキー監督は、ユダヤに関して、コンプレックスを持っているのでしょうか。金髪ロングヘアも、何かのコンプレックスを象徴しているように思えます。「夜の闇が怖い」という少年に、母親は靴墨を塗りつけて「あなた自身が闇になれば怖くない」と、哲学的なことを言いますが、これもなにかコンプレックスでしょうか。

学校の遠足の休み時間。クラスメイトに誘われて岩陰に隠れて、全員で自慰をしますが、ユダヤの割礼を受けている少年は「お前のはキノコ」と笑われます。補足しておきます。自慰のシーンにヌードは一切ありませんので。みんな、ズボンの前で、木でできたコケシ?をこすっている観念的な演出です。アレハンドロ少年のみ、キノコ形のコケシをこすっているのです。(最初は意味が判りませんでした)

もう一つ。これは少年ではなくて父ですが、バリバリの共産党員。共産主義者は神様の存在を否定します。いやそれどころか、神へ敵意さえ抱いているようです。それが、様々な闘争と暴力、また憐れみを受けるうち、神様を受け入れていくようになっていきます。

仏教信者と思われる行者も現れます。この行者の存在意味もよく判りませんが、ユダヤの人は、仏教に対してもなにか思い入れか、コンプレックスがあるのでしょうか。今回は少し取り留めもないレビューになってしまいました。本日鑑賞してすぐのレビューですので、まだ頭の整理がついていないせいもあります。でも、皆様も是非一度鑑賞してみて下さい。




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