ユタとふしぎな仲間たち (1974年)

初回放送・製作 1974年・NHK少年ドラマシリーズ
作品評価 A+
お薦めポイント 座敷わらしの原点ともいえるドラマ
関連情報など DVD発売中。
(写真は主役の故・熊谷俊哉君)


1974年にNHKの少年ドラマシリーズで3回の連続ドラマとして放送されました。それを1時間に再編集した作品が、同年の文化庁芸術祭で優秀賞を受賞し、DVD化もされています。

再放送を録画したのですが、テープが行方不明のまま、ビデオデッキも廃棄しましたので、しばらく見ていませんでした。今回、ノースエンド先生からDVDをお借りし、久し振りに鑑賞しましたが、本当に素晴らしい作品です。原版フィルムの保存状態のせいか画質がよくないのが残念ですけれど。

座敷童子のペドロに連れていかれた世界で遊ぶユタ

東京で暮していた小学6年生の少年ユタ(熊谷俊哉さん)は、母の実家である東北地方の温泉旅館へ引っ越すことになった。地元の学校は、小中学校が同じで、生徒も数名ずつ。そんな中でも、ユタは転校生の洗礼(いじめ)を受け、なかなか馴染めない。

ユタの住む温泉旅館には、座敷わらしが出ると祖父から教えられ、ユタはその部屋で寝る事にした。その晩、不思議なオヤジ達がユタの枕元に現れた。髭だらけのオヤジのくせに、おしめ(オムツではありませんよ)をしている。リーダーはペドロ(佐藤蛾次郎さん)といって、100年以上前に死んだそうだ。

ユタと座敷わらし達との交流が始まった。ペドロ達につれられて「あの世」へも遊びに行った。一見、楽しそうなオヤジ達であるが、みんなこの世に生まれてすぐに死んだ、いや殺された「わらし」の成れの果て。それでも殺した親を恨むのではなく、今でも母親の愛に飢えている。

ペドロ達との交流の中で、ユタは次第にたくましくなっていき、学校にも次第に馴染んでいく。やがて、ペドロ達との別れがやってきた。この温泉地に高速道路の建設が始まり、座敷わらし達が暮す環境ではなくなったからだ。

 座敷わらしの真相

とにかく本作品で登場する座敷わらしは、佐藤蛾次郎さんなどオヤジばかり。現在の方々が見れば、違和感あること甚だしいだろうと思います。今のテレビ等で登場する座敷わらしは5,6歳くらいの女の子と相場が決まっているようです。テレビ受けがいいからでしょうか。

しかしこのドラマでは、座敷わらしのリーダーのペドロはこう言い切ります。女の座敷わらしなんて見たことがない。俺達が生まれた時代は貧しくて飢饉もあり、働き手は長男だけで一杯。次男や三男は育てられず、生まれたらすぐに殺したんだ。女の子は可愛いし、器量が良ければ(女郎屋に)売れて金になるからな(売り飛ばされる女の子も人権無視で可哀想。でも殺されるよりはマシでは)

 熊谷俊哉さんの熱演と追悼

さて本ドラマの主役を演じた熊谷俊哉さん。もう声変りが始まっている年齢でしたが、思春期直前の少年をよく演じました。前半は、宮沢賢治「風の又三郎」と同じような雰囲気でしたが、又三郎と違って、都会のもやしっ子。

そんな少年が座敷わらしと出会い、少しずつたくましくなっていきます。クラスの少女への初恋っぽい経験も。しかし少女よりも、座敷わらしのペドロへの想いの方が強く描かれています。普通に考えると、少年があんな髭オヤジを慕うことはないのですが、やはり座敷わらしの不幸な生い立ちと、友情が勝っていたのでしょう。

このドラマ出演後、熊谷俊哉さんは、同世代の少女達の間で人気者になり、同じようなNHK少年ドラマ、青春ドラマ、またNHK大河ドラマにも出演します。私の妹が当時読んでいた少女雑誌のグラビアページに写真が掲載されていたような記憶もあります。(記憶違いかも)

そんな熊谷俊哉さんですが、本年(2015年)に逝去されました。まだ50代前半のお若さだけに、本当に残念です。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 最後に

今「ユタと不思議な仲間たち」と検索すると、劇団四季のミュージカルの記事しか出てきません。その内容を見ますと、やはり少し改作されて、座敷わらしには女性もかなりいるようです。ミュージカルですから、これはこれでいいのではと思います。

見た事はありませんのでよく判りませんが、キャストの並びを見ると、主人公はユタ少年ではない感じですので、少し残念かも。でも劇団四季のいいところは、少年役をちゃんと男性(大人ですが)が演じているところ。今はやっていないようですが、どこかで一度見てみたい気がします。

熊谷俊哉君の横顔。大変ノーブルです
座敷童子たちと別れの夜。一人で温泉へ





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