島崎和江(つみきみほ さん)は、息子マサシ(伊集朝也くん)を連れて故郷の沖縄に戻って来るところから映画は始まる。祖母の家で暮らし始めたマサシは、近所に住む5年生の優しい少年アキラ(島袋朝也くん)に、なにかと面倒をみて貰ったおかげで、学校の子供達ともすんなり仲間になることができた。
アキラの母は亡くなっており、父も本土に出稼ぎのため、祖父の清吉(上間宗男さん)と2人で暮らしている。海岸の断崖に風葬場があり、そこに1つの頭蓋骨が置かれていた。その頭蓋骨は戦時中、流れ着いた特攻隊員の遺体を風葬したものであり、断崖に風が吹くと、頭蓋骨の中を通り、まるで「泣く」ような音を出す。これを地元の人たちは、風音(ふうおん)と呼んでいた。
ある日、アキラ達は、この頭蓋骨の横に魚を入れたビンを置き、魚が生きているか、賭けをを始めた。ところが、その時から風音が消えてしまい、村の人々は不安に襲われる。一方ある日、本土から老婦人 藤野志保(加藤治子さん)がやって来た。彼女は特攻隊となって死んだ、かつての恋人の消息を尋ねて沖縄を旅しており、風音の頭蓋骨が恋人ではないかと考えていた。
アキラの祖父・清吉は、子供の頃に特攻隊員を埋葬するところを見ており、その時、遺品の万年筆をこっそり持ち帰った事が心にくすぶっていた。藤野さんの話を聞くうちに、頭蓋骨が彼女の探す恋人である事が判るが、なぜか清吉はそれを彼女に告げず、万年筆も埋葬してしまった。
その頃、マサシの母・和江にピンチが訪れていた。実は和江は、夫の暴力に耐え切れず、故郷へ逃げ帰っていたのだが、その夫(光石研さん)が沖縄までやって来たのだった。和江は夫に暴力を振るわれ、本土へ連れ帰られそうになり、思い余って夫を刺殺してしまう。それを見ていた清吉は夫の遺体を始末し、和江に逃げるよう促す。何も知らないマサシは母に連れられて逃亡する事になった。
この映画の子役は全員、沖縄でオーディションを受けて出演することになったそうです。東京の児童劇団の演技力のある子役を使わず、地元の子供達だけなので、学芸会風にならないかとの心配もありましたが、監督の熱意なんでしょうか、素晴らしい出来でした。
確かにセリフはぎこちない面もありましたが、全身から醸し出す「沖縄の心」は見事であり、本土の子供達では無理だろうと思います。マサシを演じた伊集君は、華奢で折れてしまいそうな少年で、暴力父や、近所に住む耳切オジイ、学校の悪ガキに、襲われる姿は痛々しくて見ておれませんでした。
しかし何よりも、最後に母と2人で逃げていく姿、全財産はリュックに入るだけ。これからこの子はどうなっていくんだろう。ものすごく気になりました。切なくなりました。フランス映画「禁じられた遊び」で、少女ポーレットが駅の雑踏へ消えていくラストシーンを思い出してしまいました。
アキラを演じた島袋君は、親はなくて家族に飢えているのでしょうか、小さいマサシを弟のように思う優しくて、正義感の強い少年をうまく演じていました。こんな少年がガキ大将でいたら、世の中からイジメはなくなるのですが。島袋君あたりは、もう少し他の作品にも出て貰いたい気がしますが、沖縄在住という事で、それは難しいのかもしれません。
106分という短い時間に、マサシ母子、アキラと清吉(過去)、若き日の特攻隊員と恋人、と3つ程の物語が交差しますが、非常にうまく整理されており、煩雑になることはありませんでした。
最初は児童映画と思っていたのが、戦争の悲劇、男女の悲劇、そしてついには殺人まで。のどかで美しい沖縄の風景の中に、緊迫感のあるドラマが展開。少し盛り込み過ぎの感もありますが、最近のTV局が絡むようなお気楽な映画とは一線を画しているように思います。
もうかなり前になりますが、私は仕事で1ヶ月あまり沖縄県のある離島に滞在しました。6〜7月でしたので、半端な暑さではありませんでした。気温ではないのです。空気の持っている熱量が違うのです。
地元の建設業者は、明け方から朝10時頃まで仕事して、長い昼休みの後、また夕方4時頃から日没まで作業をする、といった感じでした。そうしないと作業効率が上がらないのです。それでも夜は泡盛、ゴーヤーチャンプルなどの沖縄料理、美しい海、素朴な人たち、沖縄の魅力に取り付かれたのでした。この映画を見ると、そんな事が思い出されました。また沖縄へ行こうかな。