ドイツ零年 (1948年)
製作年・国 |
1948年・イタリア |
少年映画評価 |
S |
お薦めポイント |
ラスト10分。少年が決断を下す。とてつもない緊張感。 |
映画情報など |
DVD販売中。 写真は主役のエドモンド・メシュケ君。 |
第2次大戦後の混沌を描いた名画。名前は知っていましたが鑑賞したのはごく最近。これでは少年映画ファンを名乗る資格はありませんね。今回鑑賞して、まず基本的な認識ミスに気づきました。
ベルリンを舞台にしたドイツ零年ですから当然ドイツ映画だと思っていたら、これがイタリア映画でした。セリフも全部イタリア語。ナチスという体制が180度ひっくり帰ったドイツ。2年やそこらでは映画文化も復興しなかったのでしょうか。
イタリア・ネオリアリズム(ネオレアリズモ)映画の1つかもしれません。厳しく辛い現実の先に一遍の光も見えません。それでも主人公の12歳の少年。もうちょっと我慢して生き抜いて欲しかった...
映画のラスト。少年は廃墟となったビルへ入っていく。
(まるでホラー映画の1シーン。でもホラー映画よりも恐ろしい結末が...)
1947年。徹底的に破壊されたベルリン。12歳の少年エドモンド(エドモンド・メシュケ)は病弱な父、兄、姉と4人暮し。狭い1部屋を間借りしているが家主は強欲オヤジ。なにかにつけて嫌がらせ。兄は元ナチスの兵士で復讐を恐れて引き籠り。配給の対象にもならず、働きにもいけない。そのため家族は飢餓寸前。
12歳のエドモンドは働こうとするが年齢不足でどこも雇ってくれない。姉が米軍兵士相手にささやかな密売で小銭を稼ぐ程度。やがて父の病気が悪化。何とかコネをつかって入院するが4日で退院。父の口癖は家族に迷惑をかけるくらいなら死にたい...そんな時、エドモンドは小学校時代の先生と街で出会った。
エドモンドにとって頼れるのは先生だけ。父の病気を相談。先生は弱い者が死ぬのは仕方がないと...エドモンドは病院から盗んだ毒薬を父の紅茶に入れた。それを聞いた先生は手の平を返したように怒る。父を殺し、先生にも見捨てられたエドモンド。もうこの世に生きている意味はあるのだろうか...
■原理主義を信奉していた人間の脆さか...
いきなり社会学的な見出しになりました。すみませんエラそうな事を書いて。ナチス一辺倒だったドイツ。イタリアはムッソリーニが出たものの一辺倒にはならず、ある意味いい加減な体制。
これが全てと信奉していた原理が崩壊した時、そのショックは大きいのでしょう。
1つの思想に縛られず柔軟に対応していれば(悪く言えば日和見主義であれば)ショックは小さくてすむ。
これがドイツではなくイタリア映画になった差でしょうか(すみません。何の根拠もない与太話です。)
主人公のエドモンド少年は、ヒトラーが理想とした人種(金髪、碧眼、高身長、後頭部が出ている..)の条件を満たしているのでしょう。モノクロ映画なので判りませんけれど。貧乏で困窮している筈なのに、パリッとした服装で凛とした姿が印象に残ります。
ドイツの仇敵だったソ連の映画「僕の村は戦場だった」のイワン少年に雰囲気が似ています。とはいえ時代が時代でモノクロ映画ですから、みんな似ているように見えるだけかもしれませんけれど。
少年の病弱な父親は言います。ナチスにはずっと反対だった。それでも黙って長い間苦労して貯めた資産はインフレで消えてしまった。2019年の今。老後に2000万円いるとの論議が。でも戦争になってインフレが起これば、いくら貯めてもゼロになってしまうんですよ...
墓穴掘りの仕事に紛れ込む.
(まだ遺体が残っているのか...)
僕はもう15歳だと主張するが.
子供は向こうへ行けと...
とぼとぼと家へ帰る少年.
(まだ瓦礫の残るベルリン)
家へ帰ると病弱の父が.
食べる物も十分にない...
小学校時代の先生と出会った.
(影は路面電車.いいですなあ)
先生は少年に本当に優しい.
(Knaben Liebe の人かも...)
苦しむ父の紅茶に毒を入れた.
信頼していた先生にも見放され...
あてもなく街をさまよう少年.
童心に戻ってステップ.悲しい...
(ラスト10分は切なくて切なくて)
廃墟のビルの床に開いた穴.
少年は身を投げた...なぜ?
※後記
今回は縦長で少し大きめの画像にしました。まだまだ紹介したいカットは山ほどあるのですが。戦後2年で貧乏なはずなのに、エドモンド少年の服装は本当にオシャレなのです。サスペンダーの半ズボン、長めの靴下、革靴、そしてキレイに整えられたヘアスタイル。皆さま、是非ともDVDをご覧になって下さい。