製作年・国 |
1985年・イラン |
少年映画評価 |
A |
お薦めポイント |
孤児の少年の力強く生きる姿に感動 |
映画情報など |
DVD発売中 (写真は映画予告編から主役のアミル少年) |
2013年2月17日、シネマート心斎橋(大阪)にて鑑賞。
1985年に製作されたイラン映画。1987年の東京国際映画祭で、イラン映画として日本で初めて上映されたとの事ですが、国内での公開はありませんでした。それが、2012年末になって初めての公開です。なぜこの時期に公開されたのか判りませんが、素晴らしい作品でした。
イランの港町で暮らす孤児の少年アミルが主人公。どこで生まれ、どこで育ってきたのか、父ちゃん、母ちゃんは誰なのか、一切説明がありません。ただ天涯孤独の11歳。それだけ。
砂浜に打ち上げられた廃船がアミルの家。たった一人で暮していても、部屋?を飾ったり、洗濯もきちんとします。(結構うらやましい生活にも思えます)アミルは働き者。くず拾い、空きビン拾い、氷水売り、靴みがきと、職を変えていきますが、外国人の多い港町では、十分食べていけます。
アミルはマニア。沖合いを通る大きな船を見るとたまりません「乗せてぇ〜」と飛び回って叫びます。でも、決して乗せて貰えない事は判っています。飛行機の方がもっと好き。小さなセスナ機でも心が躍ります。もう叫ばずにはおられません。少ないお金の中から、飛行機の写真の載った古雑誌を買うことが、彼のできる全て。
アミルは走り屋。走ることなら負けません。ビン拾いの少年達と毎日のように競争です。身体の中からほとばしるエネルギーそのもの。走って、走って、叫んで、また走る。アミルの唯一の親友ムサ。ムサは優しい。アミルを守り、仕事を紹介してくれます。でもある日、ムサは船に乗って働きに出てしまいました。別れる前の日。2人で自転車に乗ってデート。最後にムサはシャツをくれました。
一人になったアミル。あれだけ欲しかった古雑誌を買っても、字が読めないことに苛立ちます。一念発起して、夜間学校に通うことにしました。そして身体の全エネルギーを使って字を覚えます。叫びながら、走りながら、字を覚えていくアミル。彼にどんな未来が待っているのでしょうか。
なぜこの少年に、こんなに魅力を感じるのでしょうか。
上述しましたように、この映画にストーリーと呼べるものは無いかもしれません。アミルの生活を描いたドキュメンタリーともいえます。しかしこのアミル少年が強烈なんです。
アミルを演じたマジッド・ニルマンド君。私が印象として持っているアラブ系の少年の容貌とは、かなり違います。どちらかと言えば縦長の顔が多い印象ですが、アミルは横長系。天然パーマの長髪ヘアスタイルは、英仏あたりの、お坊ちゃまのようです。学校へ行きたいと、きちんとした服装をした時の顔は、故ジャック・ワイルドさん(小さな恋のメロディの時)にそっくりでした。
しかし、映画でのアミル少年の性格はいいとは言えません。日本人的な価値感であれば、少年であっても、いや少年であるからこそ、もっと自分を抑え、じっと我慢して欲しいものなんです。アミルはケチ。かなりしつこく執着します。相手が大人であっても、絶対に自己主張は曲げません。これは「国際社会では当然の事で、日本人が自己主張しないのは欠点である」なんて言われます。そうでしょうか。
そんな性格を差し置いても、彼の身体中から出てくるパワーに圧倒されました。純真な叫びは、耳にこびりついて離れません。彼の笑顔が目に焼きついたまま。とにかく素晴らしい。本作品でアミルの笑顔が印象だったシーンを2つ上げておきます。
氷水の代金を払わず、自転車に乗って行ってしまった大人を、アミルは走って走って走って追いかけます。(「幻の湖」というカルト映画を思い出しました。) 最後は根負けした大人が、しぶしぶ料金を払います。それまで怒り心頭!という顔のアミルが、お金を貰うと、こぼれるような笑顔を見せます。
憧れのセスナ機。我慢が出来なくなったアミルはフェンスを越えて、飛行場の中を走って走って駐機中のセスナ機へ。そしてプロペラに両手でタッチ!溶けるような笑顔!そして回れ右、一目散に走って飛行場を脱出します。「飛行機に触れた」ただこれだけで、幸せそうなアミルの顔を見ていると、何かジーンときます。
その後のイラン。
この映画の製作は1985年。映画の舞台は1970年初めとの事ですから、1979年のイスラム革命前。まだ欧米からの物質文化をどんどん取り入れていた頃なんでしょう。ルイ・アームストロングのジャズが流れ、コーラを飲み、ジーンズをはいています。
さすがに女性は黒いベールをかぶり、少女はどこを探しても出てきません。この時代が幸せだったのか、不幸だったのか、それは全く判りません。ただ「明日は何か違うのでは」「頑張れば何とかなるのでは」といった期待感はあったのだろうと思います。それが幻想であったかは別として。
しかし、今や原理主義とか、ナショナリズムとか、宗教や政治のよく判らない国になりました。イランだけでなく、世界中がそうなのかもしれません。そんな社会を、この映画が溶かしてくれればいいのですが。