赤いカラスと幽霊船 (1989年)
公開年・種類 |
1989年・横浜博覧会映像(短編映画) |
作品評価 |
B |
お薦めポイント |
宮崎駿氏がデザインした幽霊船と少年 |
関連情報など |
VHSビデオ絶版。 (写真は山本耕史君) |
経済成長末期(バブル期)の頃、地方博がブームになりました。1989年の横浜博覧会もその一つですが、殆ど記憶にありません。横浜市民の方は開港130年とか市制100年とかで盛り上がったのだろうと思います。それはどうでもいいのですが、その時作られた映像の一つが今回紹介する「赤いカラスと幽霊船」
ネットで参照すると短編映画とあるので映画の範疇に入れるか迷ったのですが映倫番号もないし、やはり横浜博覧会の映像作品とカテゴライズしました。気になるのはネットでは上映時間61分となっている事。例によってノースエンド先生からお借りしたビデオは本編34分しかありません。
ただ別にメイキング映像が30分弱あり、合わせて61分でしょうか。当時NHKが力を入れていたハイビジョン撮影かもしれませんが、VHSではその片鱗もなし。レーザーディスク(懐かしい..)でも発売されたとか。とにかく今はイケメン俳優の山本耕史さんの少年時代が見れるだけでも価値があります。
タクヤとエミの前にいきなり幽霊船が出現した..
タクヤ(山本耕史)は自分を前に出せない性格の少年。今日も同級生とバスケットをするがシュートどころか簡単にボールを奪われてしまう。それを見ていた妹のエミ(戸恒恵理子)は絵が大好きで、ふがいない兄のこともこっそり応援する健気な女の子。
そんな二人の前にいきなり不思議な船が出現した。船にいた赤いカラスがタクヤを船長(宍戸錠)の前に連れていく。そして「私はこの船を操縦できなくなった。操縦できるのは君だけだ。何とか助けて欲しい」と。なんの事か判らないタクヤだったが、おっかなびっくり船の舵を回すと、船が動き始めた。
赤いカラスはこの船を港へ戻して欲しいとタクヤに伝える。しかし船が着いたのは横浜。そこは砂漠になり砂に埋もれて絶滅寸前。母はシェルターへ避難していく...船長はつぶやく。ここはタクヤの心の中の世界だ。逃げないで船を操縦するんだ。やがて船は宇宙へと飛び出し、隕石の嵐を越えて、目指す港へと向かっていく。
「宇宙と子供たち」
横浜博覧会のテーマです。だからでしょうか。本作もテーマそのままに脈絡なく宇宙に行って少年がSTAR WARSばりに船を操縦します。もちろん映像の出来を比べてはいけません。お金が違いますから。(帆船が宇宙という事なら2015年の「PAN ネバーランド,夢のはじまり」の方が近いかも)
そして幽霊船をデザインしたのがあの宮崎駿氏。氏お得意のメカメカした船は味わいがあります。でもお金が無いのでショボイ映像になったのは可哀想。当時はまだCGとか自由には駆使できなかったのでしょう。あと主役となる少年にも問題が。
いきなり現れた幽霊船。宮崎駿氏デザイン
妹のエミは喜んで先に船に乗ってしまった。
だめ男のタクヤ。しぶしぶ船へ登っていく
頑張れ日本人少年たち
気弱な少年が幽霊船を操縦する事で自分の殻を破って成長する、そんなプロットだと思うのですが、この山本耕史君演じる少年が問題。気弱というのではなく結局エゴだと思うのです。なので見ていてイライラします。これなら妹のエミを主役とした方が相応しい感じがします。
嫌な事や失敗はしたくないというエゴに基く防御反応。船にも乗らない、赤いカラスも、船長の話も拒否。これはスポーツでも芸術でも伸びない子の典型的な性格で、残念ながら女の子よりも少年に多いかも。生まれてから両親や周囲の環境で形成された性格ですので、なかなか治らないのも辛いところ。
(余談ですが、NHKで奇跡のレッスンという世界の超一流コーチが日本の少年少女を指導する番組があります。テニスの回で登場した12歳の少年と少女。少年は少女に全く勝てないので勝つのが今回の目的。しかし少年は人の話を聞かないタイプ。少女は素直なのでメキメキと。結局最終試合でも勝負になりませんでした。こんな少年が日本人には多いのか..)
すみません話がそれました。色々書きましたが、NHKっぽくて面白い作品には違いありません。「STAR WARS」もそうですし、砂に埋もれた横浜のランドマークは「猿の惑星」ですし、映画ファンとしてニヤリとできるシーンもあります。是非DVDかBDで再発売して欲しいところです。
赤いカラスに海図を示されるタクヤ
出来ないよと渋るタクヤだったが船の舵を握ると..
色々あって..自分の殻を破ることが出来た。
宇宙空間で隕石の嵐を抜けると光が...
やったよ!遂に船の港が見えてきた。
赤いカラスに初めて見せた笑顔。