風の又三郎 ガラスのマント (1989年)

少年映画評価 2点
作品総合評価 4点
少年の出番 60%(実質は脇役)
コメント 又三郎が主役のはずでした。
映画情報など 1989年公開/ビデオ発売終了
(左はビデオパッケージ、又三郎は少女ですか?)
(右は又三郎を演じた小林悠君。白黒なのが残念)


■宮沢賢治原作の名作童話のはずだったのに

原作はもちろん有名な「風の又三郎」です。戦前や戦後すぐに実写映画化されたものは原作に忠実だったようですが、本作品は「風の又三郎」の名前だけ使った別物と考えていいでしょう。(私にとってはサギまがい)

■ストーリー

バックのストーリーは原作そのまま。東北地方のある村の小学校に、高田三郎という不思議な少年が転校してくる。当時の東北地方では考えられない都会的なたたずまいの少年に、村の少年達はやっかみと同時に憧れを抱く。だが二百十日の風とともに、三郎少年はどこへともなく去っていく。

しかしこの映画では、原作にない「かりん」という少女の目を通して、風の又三郎が語られる。又三郎のエピソードは背景でしかなく。あくまで少女かりんの話が全て。

■風の又三郎役の小林悠君

本来は主役のはずの又三郎役は小林悠君という子役が演じました。写真にもあるように、なかなか不思議系の魅力を持った美少年で、ルックス的には又三郎役にピッタリだと思いました。あくまでルックス的には。

但し演技やセリフには全く惹きつけるものが見えません。ただ淡々と台本通り動いているだけという感じでした。ある意味、村の少年たちの心を奪ってしまうような魅力を又三郎は持っているはずなんですが、この魅力の無さはどうしたことなんでしょう。

この原因は、やはり監督(伊藤俊也氏)の好みの問題だったのでしょう。伊藤監督は又三郎役の小林君への演技指導は適当にして、少女かりん(早勢美里さん)に全精力を傾けたのに違いありません。

そりゃ監督にすれば、この映画は早瀬さんが主役で、彼女しか目にない訳ですから、主役に全力を集中して何が悪い?ということなんだと思います。又三郎ですら脇役ですから、原作に出てくる一郎や嘉助は、何の意味もない役でした。

■宮沢賢治作品には近づかないで、お願い

そういう映画を作ること自体はもちろん自由であり、きっと支持者も多いんだろうと思います。ただそれなら題名に「風の又三郎」というのを止めて欲しかったなあ。「風のかりん」とかなんか、もっと相応しいタイトルがあると思うのになあ。

昨年(2006年)また、懲りもせず「銀河鉄道の夜」という短編作品が実写で製作されました。劇場ではみれませんでしたので、DVDを購入して鑑賞しましたが、酷い出来でした。登場人物の設定は少年のままですが、あろうことかジョバンニ役に少女を起用し、カムパネルラ役は少年ですが、セリフ棒読みの演技指導なし状態。

宮沢賢治氏の作品には、早くに亡くなった妹への鎮魂的なものはありますが、少女嗜好の話は殆どないと思っています。どちらかというと少年同志の友情というか、自分より容姿の優れた少年への劣等感と憧れ、みたいな話が多いように思います。

それなのに日本で映画化やアニメ化するのは、なぜか少女嗜好の方々ばかり。一度、神木隆之介君など、本当の少年で、本当に気合を入れて宮沢賢治作品を撮ってほしいものです。

■(参考資料)当時のTVで放送されたメイキング

このレビューを書いてもう8年以上経ってしまいました。(これを書いているのは2016年8月)
今読むと嫌なレビューですよね。「女性蔑視では」とのご批判もよく頂きました。少年俳優を応援する余り、心無い表現も確かにあります。もちろん少女俳優や女優さんを直接批判する事は絶対にしていません。

それはさておいて、本映画公開当時にTVで放送されたメイキング番組の画像が見つかりました。当時録画したVHSテープは廃棄しましたが、いくつかの静止画がハードディスクに残っており、画質は酷いのですが、ここで参考までに掲載します。

ロケ地に向かう小林悠君
集合した子役たち
(左から3人目が小林悠君)
撮影の意気込みは


    練習中。右後は主役の早勢美里さん       木琴の練習中。本番ではどうでした?

    小林悠君、よくみると正統派美少年       撮影が終わって車に乗り込みます

(*)放送では主役の早勢美里さんの映像が大半だったと思います。でも画像は小林悠君のものしか残していません。





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