みなに幸あれ (2024年)
作品総合評価 |
人間社会のカラクリを皮肉ったような異色ホラー。 |
少年の出番 |
田舎の中学生。主人公の弟。出番は少ない。 |
寸評 |
欧米ホラー、横溝正史系、色んなホラーが隠し味。 【少年映画でない理由】出番過少。 |
映画情報など |
2024年公開。Amazon他で有料配信中。 写真は増永成遥君。 |
みなに幸あれ、どころか何とも厭な気分になるホラーでしたが、前回レビューした『ミンナのウタ』と同じように平和なタイトル。スタッフをみると両作品とも清水崇氏が絡んでいます。主演の古川琴音さんの頑張りは評価できると思います。
中学生(増永成遥)と主人公の娘(古川琴音)。いじめられていた中学生を助けた。
東京の看護学生の娘(古川琴音)が田舎の家に帰省。久し振りに幼馴染(松大航也)と再開して懐かしむ。祖父母は喜んでくれるが、時々意味不明の動作。そして瞼と唇を縫われた不気味な老人がいた。娘は驚くが、祖父母は老人を無造作に引きずって監禁。娘は幼馴染に相談。2人で老人を解放するが、車にはねられて老人は死亡。
そこへ娘の両親と弟(倉田響)も帰省してきたが、老人の死体を田んぼで焼却。娘は知った。家族の幸せには他人の不幸(生贄)が必要だと。娘のせいで生贄が死んだので代りを見つけて来い。娘は家を飛び出した。同じように家出した叔母を訪ねるが、叔母も死んだ。いじめられていたのを助けてあげた中学生(増永成遥)は「(生贄に)なってもいいよ」と言うが、娘は幼馴染を選んだ。
実家の2階に監禁されていた老人。瞼と唇を縫い、手足を拘束していますが、死なれると困るので腹部に胃ろうを設置しているようです。この老人の不幸や苦しみが、家族の幸せのパワー?になっているとの事。それで老人が死んでしまったから、両親も弟も娘本人も目から血が出て苦しみはじめます。
楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。よく言われる真理みたいなものです。トータルの幸福量はゼロ。これは自分の中で閉じた原理だと思っていました。しかし他人を含む社会のトータルでいいとなると、ずーっと不幸でいる人の分を貰えばいいのでしょうか。
こういう哲学的、宗教的なことを考えていると、人生はあまり楽しくなくなってくるのです。今苦しい思いをしておれば、後で幸せがやってくる。これはいいのですが。今楽しい思いをしていても、いつどん底に落ちるかと思うと、楽しめません。
自分でも何を書いているのか判らなくなりましたので、この話は終り。
中学生役の増永成遥君。『めんたいぴりり』シリーズ2作品での活躍が印象に残ります。主人公の娘が帰省してきた道で、助けてもらった中学生。いじめられていたのですが、この時は純粋な子でした。
娘さんと2回目に会った時、子分を連れて歩くなど純粋さが失われていました。まわりに逆らわず、流れにまかせて適当に暮す方が楽。娘さんは少し失望。しかし去り際に「なってもいいよ」と呟きます。「えっ」娘さんが生贄の後釜を探しているのを知っていた?
娘の幼馴染(松大航也)が軽トラで通りかかった。
中学生の自転車を修理しようとしてくれたが無理だった。
中学生は軽トラの荷台に乗せて貰って学校へ。
去っていく娘と幼馴染を見送る。
2回目に会った時、中学生には友人(子分)がいた。
純真さが薄れた中学生。(友人役は不明)
なってもいいよ。中学生は小さく言った。
次の生贄を探していた娘。彼を選ぶ気にはなれず。
両親と弟も帰省してきた。少し歳の離れた弟が
突然「赤い、赤い」と叫び始めた。
振り返った顔。目から血が流れている。
生贄の老人が死んで、不幸が襲ってきたのだ...
後記
本作は九州で撮影されたのか、九州の子役さんが出演しています。本文の中で紹介しました増永成遥君は佐賀県出身。主人公の弟役を演じた倉田響君は福岡県出身。こういう地方の子役さんが活躍できる場がもっとあればいいのですが。